紙と皿のあいだ

本の感想とドールや猫の写真とか

htmlから遠くはなれて、

なんて、そんなわけはないのである。

いつだってソースは開かれるし除かれるし、見えないプレビューの隙間に、わたしたちは落書きや呟きや呪いやAAを探している。


ディスプレイが模造紙と等価だったことが、かつてあっただろうか。
名前も忘れられたワープロソフトや、フリーのテキストエディタにむかって、わたしたちはキーボードを叩きつけた。
ネットワークから遮断された、ベージュ色の箱からは、常に熱波が発せられ、低いところで渦巻くモーター音におびえながら。ファンの予兆が、耳の奥の貝殻の中でこだましている。

てんで、リッチじゃなかった。
文字はカクカクしていたし、インクみたいな愛嬌を滲ませることすらなかった。
大きく後頭部を膨らましたモニターの表面ガラスはヤニと日焼けで黄色く染まっていたし、わたしたちの顔はその中にうつりこむことすらなく、だからわたしたちが、どのような顔をしていたのかなんて、もうさっぱり覚えていない。

紙に描かれた文字の間には罫線が引かれている。
文字間を読め。
行間を読め。
開け開けと念じられても、そんな部分に目をこらすより、文字の形こそがハッキリとあの頃の感情と未熟さを浮かしており、読み解くべきものなど始めから開かれてしまっている。


開け。ソースを開け。
裏側には何かがある。何かが隠されている。
扉を探して文字と文字の間に目を凝らす執念よりも、誰にも見つけられないことを**全く**信じない筆記者のマーキングそのものの好ましさが、なんとなく心のなかに残っている。