紙と皿のあいだ

本の感想とドールや猫の写真とか

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フィルムのバカチョン頃はこういう写真ばっかり出てきたよね。
そういえばコンパクトカメラを「バカチョン」と呼ぶことは HIROMIX 全盛期に上の世代が使っているのを生で聞いて知ったんですが、当時は「朝鮮半島の人を馬鹿にする」という概念そのものが自分の中に存在していなかったので、バカチョン=「チョンとシャッターボタンを押すとバカみたいな写真が撮れるカメラ」という理解でした。
未だにコンパクトカメラと朝鮮半島がさっぱり脳内で結びつかないのですが、後者の理屈でいく愛称としての「バカチョン」は音として可愛いので言葉が死んでしまうのは勿体ないような気もする。
当時、使っていた人にしても差別の意図は感じられず、通称として用いていただけだと思うので謎の言葉です。


と思ってググってみたところ、 Wikipedia 先生が大体の疑問に答えをくれた。


コンパクトカメラ - Wikipedia

1980年代前半までは「バカチョンカメラ」という呼び名が一般に用いられていた。

  • 語源には下記のような説がある。
  1. 英語のフール・プルーフの訳語で、「カメラの使い方を知らなくても、絞りやシャッター速度の調整を気にせず使えるカメラ」つまりプログラムEE(当時の呼称。現在のプログラムAE)つきの、「ばかでもちょんでも使えるカメラ」という意味。
  2. バケーションカメラのローマ字綴り (vacation camera) を日本語読みしたという説、あるいは英語発音の聴き取り間違い。
  3. F値被写界深度・シャッター速度・ストロボ等の専門知識を要することなく、「バカでも(シャッターを)チョンと押せば撮影できる」の意

1の説について、「『ちょん』が朝鮮人に対する蔑称である『チョン』『チョン公』の事を指している」とされ、「バカチョンカメラ」の呼称は使用が自粛されるようになった(現在「バカチョン」という表現はこの民族差別の理由により「放送禁止用語」となっている。詳述はバカチョンを参照)。しかし、実際の「バカチョン」で使用されている「ちょん」は、つまらない人・取るに足らない人のことを拍子木の音になぞらえた蔑称であり、日本語として古くから使われている。語源的には朝鮮人を蔑む意味は特にない(大辞林 第二版 用例「ばかだの、ちょんだの」参照)。
なお、デジタルコンパクトカメラのことを「コンデジ」と略称することがある(ほかに「パクデジ」「デジコン」など)。


バカチョン - Wikipedia

“ちょん”とは「『半人前』や『取るに足らない人』のことを、芝居の終わりに打つ拍子木の音になぞらえた言葉」であったとされる。「大辞林 第二版」は、「ちょん」の用例として、近世の明治時代の小説、「西洋道中膝栗毛」から、『ばかだの、ちょんだの』と言う記述を引用している。
これが転じて、戦後、日本国内のメーカーが発売した、オートフォーカス機能を搭載したコンパクトカメラのCMのキャッチコピーとして用いられた。[要出典]
「バカでもチョンでも」という表現の由来は上記のとおりであるが、「バカチョンカメラ」という言葉そのものは、英語の "vacation camera" の音訳であったとする指摘もある。vacation camera とは「素人でも手軽に扱える休暇旅行用のカメラ」という意味で、1960年代初めに登場した日本製の自動露出カメラ(AEカメラ)を指して使われ始めた言葉とされるが、これを訳出する際に、上記の「バカでもチョンでも」という既存の表現と引っ掛けたダブルミーニングとして使われ始めたという説である。
バカチョンカメラ」という言葉は日本語としても語呂がよくインパクトの強い表現であったため、口語のみならず活字表現としても広く使用され、コンパクトカメラ全体を指す代名詞となった。また一般用語として広まる過程において、「馬鹿でも"ちょん"とシャッターを押せば撮れる」「馬鹿でも(差別対象であった)朝鮮人でも撮れる」など、元々の意味とは異なるさまざまな解釈が誕生し現在に至っている。
バカチョンカメラは、従来カメラと縁遠かった女性や子供を販売の対象としており、かつて高嶺の花であったカメラを、安い値段で、いつでもどこでも誰でも簡単に撮影できるものとした商品であった。こうした事情から、単に見下した侮蔑語ではなく、コンパクトカメラに対する親しみも込められていたと考えられる。


なるほどですね。

またこのように考察しているページもあった。2ch とカンコくん罪深し。
不快に感じる人がいるなら静かに消えていく方がいいのでしょう。